先日某週刊誌の取材で、これからの医師に必要とされることはどうなるのか、と言ったテーマで座談会に参加しました。座談会参加者は、眼科医でデジタルハリウッド大学院客員教授の加藤、整形外科医で医療法人社団新潮会理事長の北城、腎臓内科医で腎臓内科.com運営の森、お茶の水循環器内科院長の五十嵐、と記者の合計5人でした。最初は、何科は残るとか、何科は残らないとか、人工知能で消える仕事とか、ロボットで消える仕事など、バラバラに語っていたのですが、より根底にあるルールとして、以下のような共通項があるのではないかという意見がまとまりました。具体的には、中長期的に価値を提供出来なくなる可能性の高い医師の仕事の条件として、
・診断のみの価値しかないこと
・機械のほうが得意なこと
・コメディカルのほうが得意なこと
・ドラッグストアで対応可能なこと
・社会保障としての存在意義が薄いこと
・費用対効果が著しく優れないこと
などを考えました。勿論MECEではなく、もっと他に良い共通項がある可能性は否定出来ませんが、このあたりで一旦まとまりました。では、逆に、これからの医師に求められることとして、これについても色々な意見が出ましたが、結論から言うと、高い技術力と、高いコミュニケーション能力の二つと簡潔にまとめられました。なぜ、そのような結論に至ったのかをもう一歩深く考察してみました。
医療においてもマーケティング分析フレームワークの「3C」は有効で、自社(Company)→自院、自分自身、顧客(Customer)→患者または潜在患者、競合(Competitor)→競合または潜在競合となる代替ソリューション、などと言い換えることによって、ほぼほぼ適応が可能です。上記の「中長期的に価値を提供出来なくなる可能性の高い医師の仕事の条件」のうちの多くは、Competitor視点で説明が可能です。具体的には、競合または代替ソリューションという視点で、医師以外がやったほうが価値があるので、医師がやる価値が相対的に下がるという意味で説明可能であると整理することが出来ます。また、高い技術力と、高いコミュニケーション能力の二つは、Company視点での付加価値の向上、Customer視点での付加価値の向上と、言い換えて整理することが出来ます。医療において、高い技術力が重要であるということについては疑問はないかと思いますが、なぜコミュニケーション能力の重要性が今強調されているのか、という疑問が湧いて来ます。昔はコミュニケーション能力はそこまで必要とされていなかったのでしょうか。この疑問に対して、我々は、昔は今に比べて医師にコミュニケーション能力は必要とされていなかったのではないかということに気付きました。その根拠は以下の考察します。
「主要死因別にみた粗死亡率(人口10万対)の年次推移」→https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/sinno05/2.html
ここで、日本人の疾病構造の変化まで振り返ります。厚生労働省の人口動態統計において、主要死因の死亡率の長期推移の図があります。戦争があったため、途中統計が抜けた時期がありますが、概ね、ここ100年間ちょっとの日本人の死因の推移がまとめらています。このグラフを見ると、ここ100年間くらいで、日本人の疾病構造は劇的に変貌を遂げていることがわかります。具体的には、
戦前は、主に、結核、肺炎、胃腸炎と言った「感染症」によって日本人は死に至っていたということがわかります。感染症以外では、脳血管疾患、いわゆる脳卒中によって日本人は死亡していました。胃腸炎でこんなにも多くの人が死に至るとは今ではあまり想像出来ないですが、上下水道の完備、衛生水準の向上、栄養状態の改善、予防医療の普及、など、戦前の日本は多くの発展途上国と同じ状態にあった訳です。1890年あたりから1945年あたりまでのこの時期を「感染症」フェイズと呼ぶことが出来ると思います。
戦後、感染症による死亡は急速に減少しました。まず胃腸炎や肺炎で亡くなる人が激減し、続いて結核が減少しています。代わりに脳血管疾患は以前として日本人の死因として一位になります。この変化は、上述した通り、上下水道の完備、衛生水準の向上、栄養状態の改善、予防医療の普及等の社会変化が密接に関わっているものと考えます。がんは増加傾向ですが、1980年くらいまで、ずっと日本人の死因の一位は脳卒中でした。1945年あたりから1980年あたりまでの時期を「脳卒中」フェイズと呼ぶことが出来るかも知れません。
その後、脳卒中医療の普及や降圧薬の開発、高血圧症の啓発などを通して、脳卒中の救命率が上がりました。脳卒中は助かるようになり、脳卒中で死なない代わりに、脳卒中後遺症としての嚥下障害、誤嚥性肺炎で命を落とすようになったと言えます。肺炎が増えた、イコール感染症が増えた、というよりは、脳卒中が助かるようになり、脳卒中後遺症の誤嚥性肺炎が増えた、という理解が正しいと思います。がんは増加の一途です。がんの次には心不全が二位になりました。心不全、脳卒中、脳卒中後遺症としての誤嚥性肺炎、全て動脈硬化が原因です。動脈硬化の原因は、高血圧症、脂質異常症、糖尿病、喫煙、大量飲酒等の生活習慣病です。この時期を「生活習慣病とがん」のフェイズと呼ぶことにします。
以上、単純化すれば、日本の医療は、「感染症」、「脳卒中」、「生活習慣病とがん」、この3つに対して、この順番で対応出来るように最適化されて来たと整理することが出来ます。なぜ、疾病構造の変化が重要かと言うと、疾病構造が異なれば医療に求めるものが違うからです。具体的には、「感染症」フェイズの時代に、医療の質を高める因子は、優れた抗菌薬の開発でした。「脳卒中」フェイズの時代に、医療の質を高める因子は、脳卒中救急医療体制の普及でした。脳卒中医療においては、CTやMRIという画像診断の普及もキーであったように思います。感染症で死にそうな人に対しては、早期に適切な感染症治療を行うこと、脳卒中で死にそうな人に対しては早期に適切な脳卒中治療を行うこと、ここに、コミュニケーションの重要性はさほどありません。医薬品や医療機器の開発が医療の質を上げたのです。治療の主体は医療者でした。医師は、新しい薬を覚えて使いこなすこと、新しい医療機器を覚えて使いこなすこと、技術力こそが、医療の質を向上させる鍵だったのです。
さて、「生活習慣病とがん」のフェイズになって大きく変貌しました。なぜなら、生活習慣病において、医薬品や医療機器はもうすでに優れたものが開発されており、今の時代に、高血圧症の治療で、糖尿病の治療で、いい薬がなくて治療出来ないという状況はもうないからです。脂質異常症の検査で、糖尿病の検査で、検査の精度が問題になることもありません。日本中どこでも正しい検査が出来ます。医薬品や医療機器が医療の質を上げることに必ずしも直結しなくなったのです。理由は、生活習慣病という名前の通り、生活習慣が根本的な原因であり、治療の主体は患者側にあるからです。どんなに良い検査も医療機関に来ない人、検診を受けない人には何の価値もないし、どんなに良い薬も治療中断してしまえば治療効果はありません。また、生活習慣病という病気の性質上、心筋梗塞や脳卒中を起こさないために、将来の予防的価値のために治療する訳ですが、ここも明確に違う点です。「感染症」フェイズや「脳卒中」フェイズの時代は、病気の性質は異なりますが、いずれにせよ、今何らかの症状があって、患者さんは困っていました。感染症では、熱があり、肺炎では咳や呼吸困難があり、胃腸炎では嘔吐や下痢があり、すごく辛い症状があります。脳卒中も、手足が麻痺をしたり、呂律が回らなくなったりで、患者さんは今症状があって困っています。なので、治療が必要であるということを、医師が説明する必要もなく、自然と医療機関に来る訳です。一方で、「生活習慣病とがん」では、特に生活習慣病では、多くの場合、患者さんは今何も困っていません。糖尿病で糖尿病合併症、糖尿病性網膜症、糖尿病性腎症、糖尿病性神経症などの、自覚症状が出るのは、ずっと後です。脂質異常症だけでは何の自覚症状もありません。高血圧症のみでも、強い自覚症状はありません。患者さんは今何も困っていないのです。症状がなくても生活習慣病を放置してはいけない理由は、心筋梗塞、脳卒中、慢性腎臓病のリスクであり、自覚症状が出てから発症後に元に戻す治療法がないからです。生活習慣病の治療は予防医療なのです。予防医療の価値を患者さんに実感してもらうのはなかなか簡単ではありません。なぜなら、今何も困っていないことに対して、将来の予防的価値のためだけに、定期的な通院や検査と言った、時間的コスト、金銭的コストを割いて欲しいと言っている訳で、さらにその予防的価値というのも、心筋梗塞、脳卒中、慢性腎臓病などが起きないこと、何も起こらないことが効果であり、非常に効果を実感しにくい効果なのです。これは「感染症」フェイズの時代とは明確に違う点です。感染症では、肺炎で熱があって呼吸困難で苦しいのが治療によって治った、胃腸炎で嘔吐と下痢で辛いのが治療によって治った、というのは非常に効果を実感しやすいのが、感染症治療です。「脳卒中」フェイズも同様です。生活習慣病時代は、非常に効果が実感しにくい医療です。医師は、高いコミュニケーション能力が必要とされる時代になりました。医師は、今何も困っていない人に対して、非常に効果を実感しにくい医療を、提供しなければならなくなったのです。サービス業として考えても、このような商材を扱うのは、至難の業です。
上記は2007年に東京大学の渋谷先生らを中心に発表された「2007年の日本における危険因子に関連する非感染性疾患と外因による死亡数」というレポート、通称「渋谷レポート」です。「感染症」フェイズが終わり、日本人の死因は一体何によってリスクがもたされているのだろうかというのを分析したレポートです。日本における感染症以外の死因を、循環器疾患、悪性新生物、糖尿病、その他の非感染性疾病、呼吸器系疾患、外因に分類し、危険因子をまとめました。疾病負荷と言います。結果、男女ともに、喫煙、高血圧が圧倒的に多く、運動不足、高血糖、食塩の高摂取、アルコール摂取、ヘリコバクターピロリ菌感染、高LDLコレステロールが続き、C型肝炎ウイルス感染、多価不飽和脂肪酸の低摂取、過体重・肥満、B型肝炎ウイルス感染、野菜果物の低摂取と続きます。喫煙に至っては、心筋梗塞や脳卒中等の循環器疾患、肺癌や咽頭癌等の癌、慢性閉塞性肺疾患等の呼吸器疾患と、合計12万人以上の死亡の危険因子になっており、成人の死亡因子として第一位です。第二位の高血圧も10万人以上の死亡の危険因子です。喫煙、高血圧症に続いて、脂質異常症、糖尿病、運動不足など、生活習慣病がこれまでも多くの疾病負荷をもたらしていることがわかります。これら生活習慣病の主体は医師ではありません。患者さん自身です。食事、運動、喫煙習慣、飲酒習慣などの生活習慣病に対して医師は介入をしていかなくてはなりません。しかも、上記のように、生活習慣病の治療は非常に効果を実感しにくい治療です。目の前の人は今何も自覚症状がなく、今何も困っていません。それでも生活習慣病を治療する必要があるのは、将来の予防的価値です。医師は高いコミュニケーション能力が求められるようになりました。高い技術力はもちろんなくてはなりません。が、それだけでは不十分な時代になったのです。以上から、高い技術力と、高いコミュニケーション能力の二つが結論されると考えられます。「がん」の話が抜けましたが、がん医療も同様に高いコミュニケーション能力が必要とされます。座談会ではがんの専門家がいなかったので、残念でしたが、根治を望めない状態のがん、検診やワクチンなど、高い技術力に加えて、コミュニケーション能力が必要とされるのが、がん医療です。
社会保障としての存在意義、医療における費用対効果、という視点も非常に大事な視点なのですが、考察が十分でないので、またの機会に整理しようと思います。
最後に、まとめです。もう一度、マーケティング分析フレームワークの「3C」に戻って整理すると、Company視点における自身の高い技術力、Customer視点における高いコミュニケーション能力、Competitor視点における機械、コメディカル、ドラッグストアなどの代替ソリューションとの競合性、この3つの視点で絶えず付加価値を高めていく、この姿勢がこれからの医師に求められるものとして最も重要なのではないかという結論です。個人的には、中長期的に価値を提供出来なくなる可能性の高い医師、これからの医師に必要とされるものという話題から、疾病構造の変化まで、一見関係のなさそうなものがつながっていて、一貫性があるということが大きな発見でした。また、生活習慣病治療というのは改めて非常に難しいことをやろうとしているということを再認識しました。開業してからもうすぐ4年、お茶の水循環器内科に変えてから5ヶ月経ちますが、自分自身の診療指針、医師としての存在意義を見直す、良い機会でした。週刊誌が発売されましたら、またお知らせいたします。
【具体的な診療範囲】