【中編】2018/12/23(日)開催の「第2回デジタルヘルス学会学術大会」の大会長講演「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。
・前編→https://ochanomizunaika.com/8601
・中編→https://ochanomizunaika.com/8641
・後編→https://ochanomizunaika.com/8691
→https://speakerdeck.com/igakeso/dhc2018
2018/12/23(日)、お茶の水のデジタルハリウッド大学にて、デジタルヘルス好きが集まるデジタルヘルス学会の第2回学術大会が開催されました。お茶の水循環器内科院長の五十嵐が大会長を務めました。このたび、大会長講演 「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。前編、中編、後編の三部に分けて執筆しています。
前編では生い立ちから開業前夜までを書きました。今回の中編は、お茶の水内科開業からお茶の水循環器内科に変えるまでを書きました。デジタルヘルス自体はほとんど出て来ませんが、この中編の内容こそがなぜ今デジタルヘルスか?に布石としてつながる変革の軌跡です。
1、医療の時間的ミスマッチ
群馬から東京に戻り、首都圏のクリニックで非常勤医師をやりながら同時並行で開業準備を進めました。ずっと救急、循環器内科、脳卒中しかやっていなかったので、逆に今まで学んでいないところを学ぼうと言う方針で、整形外科、皮膚科、泌尿器科、心療内科、健診、在宅医療などを短期間で回りました。学んだことは、首都圏のクリニックでは、医療の質と同じかそれ以上に、時間的コストの利便性が重要視される要素の一つであり、時間的ミスマッチという課題があることがわかりました。首都圏は大病院から小規模な診療所まで、医療機関は無数にあり、医療機関数だけ見ると全く医療過疎ではありません。僻地や離島と比較した時に、首都圏ほど医療機関が充実している地域はないでしょう。しかし、首都圏のクリニックで働いてみてわかったことは、多くの患者さんが医療機関に行きたいと思う時間帯に、医療機関は空いておらず、医療機関が空いている時間帯には仕事があり医療機関に行けない、なので、数少ない夜間や土日やっている診療所は殺到し、大変な混み合いになる一方で、平日日中の時間帯は閑散としている状態であることに気付きました。医療の供給と需要が時間的にミスマッチしていたのです。また、予防医療という観点からも、多くの医師は予防医療が大事ということを普段言いながら、多くの生活習慣病患者が仕事があるため通院出来ない平日の日中にしか医療機関を開けていない、予防医療のターゲットとなる生活習慣病患者が通院しやすい環境を提供していないのにも関わらず、予防医療が大事であると口だけ言っても限界があり、言行を一致させなくてはならないのです。実は、通院しやすい時間帯に医療機関が空いていれば予防医療を行いたいという患者さんは一定数いるのではないかと考えました。
2、忘れられない一例:降圧薬を求めて救急外来を受診した高血圧患者
一つ考えさせられるエピソードを紹介します。救急をやっているころ、夜間は色々な患者さんが来院します。今すぐ救命をしないと助からない重症例から、医療機関に来る必要も薄い軽症例まで、本当に様々な患者さんで夜間の救急外来はごった返します。ある時、普段の血圧の薬が欲しいという患者さんが来ました。当直の脳神経外科医は患者さんに対して怒りました。救急外来は今すぐ医学的処置が必要な命に関わる患者さんのために開けているんだ、血圧の薬を出すためにやっているんじゃないんだ、血圧の薬くらい昼間かかりつけ医でもらってくれ、と怒鳴りつけました。患者さんはどうしても仕事が忙しくてかかりつけのところに行けない、でも薬が切れてしまう、どうしても仕方なく今救急外来に来てしまったんだと、説明しました。結局、脳神経外科医は患者さんに平日かかりつけ医を受診するようにと説明し、仕方ないから次の平日の分まで3日分程度のの降圧薬を処方し、その患者さんを追い返してしまいました。双方の言い分はよくわかります。私も救急医でしたから、救急外来というのは、心筋梗塞や脳卒中など緊急度と重症度が高い患者さんのために開けているのであって、血圧の薬を出すために開けている訳ではないという脳神経外科医の言い分も十分に理解可能です。確かに、救急外来は血圧の薬を出すところではないかも知れません。救急外来は、心筋梗塞や脳卒中などを診るための場所だからです。逆に、脳神経外科医は、くも膜下出血や脳出血が来ると、脳神経外科医の出番であると、喜んで診るのです。しかし、よく考えてみてください。これはおかしなことで、高血圧症は心筋梗塞や脳卒中のリスク因子です。血圧をしっかりとコントロールすれば、心筋梗塞や脳卒中は減らせるのです。先ほど、夜間に来院した患者さんに血圧の薬を出すことで、その人は脳卒中にならないで済むかも知れないですし、 血圧の薬が切れしまえば、数年後に脳卒中を起こして運ばれて来るかも知れないのです。さて、その患者さんは3日以内にかかりつけ医に行ったでしょうか?仕事が忙しくてかかりつけ医にどうしても受診出来ないことがわかっていたので、救急外来に来たのです。高血圧症を放置してはいけないこと、心筋梗塞や脳卒中のリスクがあるために、血圧の薬を切らしてはいけないこと、予防医療を行おうと思って、なんとか救急外来に来たのです。しかし、当直の脳神経外科医から怒られてしまいました。泣く泣く救急外来から帰ります。これが何回か続くと、医師に怒られてまで予防医療を続けようというモチベーションはどんどん削られていくでしょう。そのうち、高血圧症の治療を辞めてしまうことは容易に想像出来ます。高血圧症だけでは自覚症状はほとんどありません。治療を辞めたとしてもどこか痛いとか苦しいとかないので、何か困ることはありません。ある時、脳卒中を起こして運ばれて来るのです。その時、救急の医師はなんて言うでしょうか?「なんで高血圧症の治療を勝手に辞めてしまったんだ、ダメじゃないか」と、今度は怒るのです。これは茶番でしかありません。これは一つの極端な例でしかありませんが、日本の救急医療の現場は大変忙しく、確かに血圧なんかにかまっている暇はないのかも知れません。しかし、減らせる病気を一つ一つ減らしていくしか方法はないのです。眼の前の高血圧患者に血圧の薬を出さないことは、将来の脳卒中を増やすかも知れないし、目の前の高血圧患者に血圧の薬をコントロールすることが将来の脳卒中を減らすかも知れない、そのような視点で診療を行うことが大事なのではないかという考えに至りました。予防医療の時間的ミスマッチ、ここが解決すべき課題であると定義しました。
3、お茶の水内科開業:困っている人はいた!
考えているだけでは仮説の域を出ません。実際にやってみるしか検証の仕様がないのです。そんなことを考えているうちに、お茶の水の駿河台下交差点というところに、手頃で良い立地の物件が見付かりました。開業資金が無限にあれば、広いテナントを借りられるのですが、当時は社会人になって3年目であり、初期研修医と東京に戻って来て非常勤で稼いだお金しかありませんでした。実際には当時300万円しか貯金がなく、また医師であれば通常は銀行から借り入れという選択肢もあるのですが、学生時代にクレジットカードを飛ばしたりしており、信用情報が非常に悪く、信用情報が消えるにはまだ最低5年間が必要ということで、当時はどこの金融機関からも相手にされない状態でした。以上から、手持ちの300万円の範囲内でなんとか開業するしかありませんでした。初期費用が足りずに、泣く泣く諦めざるを得なかった物件もありましたが、ないものはないので仕方がありません。最終的に、千代田区の神田小川町3丁目、8坪ほどの物件を見付けて、借りました。8坪、30平米もない物件であり、待合室と診察室1室、受付を作ったらもうそれでいっぱいという、無駄がない、コンパクトと言えば聞こえはいいですが、誰がどう見ても狭い、クリニックでした。最低限の設備基準は満たして、保健所の基準をクリア、なんとか開業が出来ました。浪人時代、群馬から東京に出て来て初めて過ごした街がお茶の水神保町であり、浪人時代の思い出の街でまた仕事が出来るということは大きな喜びでした。2014年7月に診療所開設届を千代田保健所に提出、2014年9月に関東信越厚生局から保険指定をいただき、2014年9月、念願の「お茶の水内科」が誕生しました。医師3年目、29歳の時でした。開業手続きに関しては、学生時代にクリニック開業の経験があったので、特に迷うところはありませんでした。問題は仮説、医療の時間的ミスマッチが解決したら助かるという患者さんが実際にいるのかどうかです。ハラハラドキドキのスタートでした。結論から言うと、医療の時間的ミスマッチで困っている人はいたのです。むしろ、予想以上にたくさんいました。2014年9月に診療スタート、初月は50人程度の来院でしたが、10月からのインフルエンザ予防接種、11月頃からは風邪やインフルエンザなど、様々な患者さんが来院するようになりました。立地は、御茶ノ水駅、新御茶ノ水駅、小川町駅、淡路町駅、神保町駅から近く、地下鉄で大手町、丸の内からも近く、東京駅から御茶ノ水までは一本、二駅であり、新宿、渋谷も一本というアクセス良好な立地であったこと、さらに、夜間20時まで診療、土日も診療という明確なメリットがあったため、非常に多くの患者さんが来院されました。東京駅や秋葉原から外国人旅行者の来院、御茶ノ水は予備校街、学生街でもあるので、浪人生や大学生など、幅広い層の来院がありました。幸い、開業初年度の冬には混み合うようになり、クリニック経営としては安定、開業したけれども患者さんが来なくて潰れてしまうということはなくなりました。一年後には待合室が満席になるようになり、ピーク時には開院前にビルの前に行列が出来てしまうこともあるくらいで、小さなビルのテナントでの診療は限界に達し、開業一年半後、2016年5月には、現在の神田神保町のビルに増床移転、検査室を増やし、レントゲン施設を入れて、健診等にも対応出来るようになりました。結果的に、開業前に考えた仮説、医療の時間的ミスマッチがあって、困っている患者さんがいるのではないか?という仮説は見事的中しました。ここで注意して欲しいのは、ここは結果論であって、仮説が外れることも十分にある訳です。特に、医療従事者は、世の中はこうあるべきだ、など想い優先で、べき論で始めてしまうことが多くあります。もっと社会は予防医療に関心を持つべきだ、予防医療のムーブメントを巻き起こしたいなど、間違ってはいないのですが、ユーザー視点無視、提供者論理で動き始めてしまい、実際にやってみたけど課題を感じている人がいなくて、うまくいかなかったという例は少なくありません。仮説検証というスタイルが重要です。
4、開業4年目:隠れインフルエンザ襲来
その後、2017年9月には開業4年目を迎え、かかりつけ患者さんは15000人を超えるまでになりました。同時に、実はこの時期あたりから悩み始めました。悩みとは、コンビニ受診の先にどのような医療の未来があるのか?という疑問と、開業の理念である心血管疾患の一次予防について、本当にどこまで出来ているのか?という不安の2つがありました。具体的には、風邪、インフルエンザ、嘔吐下痢、花粉症、自然治癒する急性疾患、セルフメディケーションで十分に対応可能な軽症疾患にどれだけ医療リソースを割くべきなのか、夜間土日診療をして医療の利便性を高めることは一人一人の患者さんにとっては良いことであると感じる一方で、社会全体としては本来医療機関に受診する必要のない患者も含めて、過剰な受診行動を誘発してしまっているのではないか、つまり、医療アクセシビリティの改善が過剰医療を誘発してしまっていないか自問自答した時に自信が持てなくなって来ていました。クリニック経営として考えた場合は、軽症であろうと重症であろうと、外来診療の診療報酬点数は出来高評価なので、診れば診るほど儲かるので経営的には良いことなのですが、果たしてそれは医療費の適正利用として正しいことなのか、余計なことを考え始めました。さらに、循環器内科医として、国循で決心した、心血管疾患の一次予防という理念がどこまで実現出来ているか、自問自答し始めました。具体的には、小さなクリニックにとっては患者さんの要望に一つ一つ丁寧に答えることくらいしか強みがないので、風邪もインフルエンザも、嘔吐も下痢も、咳も鼻水も、不眠も乾燥肌も、健診も予防接種も、患者さんの要望には全部対応しようとしていました。また、どんなことでも断らずに診る医師が良い医師であるという考え方もあり、今でもその考え方は素晴らしいものだと思いますし、困っていることにきちんと対応しようとする姿勢は大事だと思いますし、患者さんから感謝をされると医療従事者というものは嬉しいものです。一方で、何でも屋さんになってしまっている自分に薄々気付き始めていました。便利屋さんとして、このままでは心血管疾患の一次予防という理念からは少しづつズレて来てしまっていることにも気付いていました。でも、夜遅くまでやってくれていて有り難い、土日もやってくれていて助かる、空いていてよかった、言われるとそれはそれで医療従事者としては嬉しいもので、本当は心筋梗塞を減らしたくて開業したんだけどな、と思いつつ、なかなか思い切る勇気もきっかけもありませんでした。一日何十人も診療を行った後に一日を振り返った時に、果たして今日、心血管疾患の一次予防のためにどれくらい貢献出来たのだろうと疑問に感じる日もありました。私にとって開業の理念と少しづつズレて来てしまっていることを薄々気付いており、それがずっと悩みでした。ただ、毎日の忙しい診療に没頭しているとそんなことを考える余裕もなく、日々は過ぎていました。ターニングポイントは、2018年冬、テレビが「隠れインフルエンザ」という病気があると騒ぎ始めたことです。2018年冬は例年よりもB型インフルエンザの流行が多い傾向にあり、高熱でなくてもインフルエンザ陽性である例が多かったのは確かに事実です。それだけであればいいのですが、テレビが「熱が出ないインフルエンザがある」「隠れインフルエンザ」という病名をわざわざ作り、一斉に放送しました。結果、ほぼ無症状の患者さんがテレビで「隠れインフルエンザ」というインフルエンザがあるというのを見て、心配で、一応念のため、という理由で夜間も土日も検査希望が殺到しました。文字通り、朝から晩までインフルエンザ検査を行い、インフルエンザ検査は早期には陽性にならないこと、検査の精度は十分でないこと、インフルエンザ検査陰性でもインフルエンザを否定するものではないこと、きちっと説明もしつつ、多い日は一日50人以上、「隠れインフルエンザが心配」というほぼ無症状の人の診療を行いました。これが連日続き、さすがに医師も看護師も受付スタッフも全員疲弊しました。医療従事者というのは不思議な生き物で、どんなに辛くても疲れていても、医療として本当に意味のあることであればどんなに大変でも患者さんのために取り組もうという心構えがありますが、医療として必要なのか疑問な診療を行うのは医療従事者にとっては苦痛以外の何ものでもありませんでした。また一方で、今後、10年、20年、30年とこのようなインフルエンザ診療を続けていっても、開業の理念である「心血管疾患の一次予防」は達成出来ないのではないかという事実を、私自身がようやく確信に至りました。それまでも薄々とこのままではいけないと気付いてはいましたが、現実に軌道修正するチャンスがないままズルズルと続けていた診療方針を4年ぶりにゼロから見直す決心をしました。
5、お茶の水循環器内科へ:その医療は心筋梗塞を減らすだろうか?
まず医療機関名から変えました。それまで「お茶の水内科」という医療機関名で、これもなかなかいい医療機関名でしたが、循環器内科に特化するという決意を込めて、循環器内科専門であることをわかりやすくするために「お茶の水循環器内科」と医療機関名を改称しました。保健所への届け出も「内科、循環器内科」から「循環器内科」単独へ、内科の標榜を取り下げました。普通、色々な患者さんに来て欲しいので、診療科の標榜はなるべく増やしたいと考える医療機関が多いのですが、あえて逆で思い切って減らすという届出をするという、これには保健所の担当者も少々驚いていました。お茶の水循環器内科の理念は変わらず「心血管疾患の予防」としました。さらに、行動規範として「その医療は心筋梗塞を減らすだろうか?」を策定しました。医療行為には様々なものがありますが、お茶の水循環器内科は「その医療は心筋梗塞を減らすだろうか?」この行動規範に沿って、判断するということを宣言しました。具体的には、心筋梗塞を減らすことが立証されていたり、心筋梗塞を減らすことが期待出来るものはお茶の水循環器内科の仕事としてやっていき、心筋梗塞を減らすかどうかに関係がないものはお茶の水循環器内科の仕事としてはやらないという意思決定をしました。もし判断に迷ったことがあれば、「その医療は心筋梗塞を減らすだろうか?」に従って考えればいいので、やること、やらないこと、やるべきこと、やるべきでないことの判別が非常にクリアになりました。「隠れインフルエンザ」が一番大きなきっかけだったのですが、睡眠薬、保湿剤、ビタミン剤、湿布など、循環器内科としては必ずしも関係のない処方も増えていたのを一切辞めました。それぞれ適切な診療科を紹介したり、紹介状を発行したりなどで対応しました。ここで考えたのは社会保障システムとしての保険診療の持続可能性です。自然治癒する疾患、セルフメディケーションで十分に対応可能なもの、ドラッグストアで十分対応可能な疾患も、保険証を使ったほうが安いから、というだけの理由で医療機関を受診する人がいます。これは、社会保障システムとしてはモラルハザードを起こしており、ただそれが社会保障費の適正利用ではないと考えたとしても、使えるものを自分だけ我慢するということのメリットがないので、社会全体として社会保障費の適正利用へのインセンティブが働かないという問題であり、これはシステム破綻です。ただ、長い目で見れば、自然治癒する疾患は医療機関の仕事ではなくなっていくだろう、セルフメディケーション中心になっていくだろうということは、海外の他の先進国の社会保障システムを見ていると確信に至りました。医療機関の役割は本当に医療が介入しないといけない疾患に特化していくだろうと、その変化に先回りしようと考えました。ちなみに、2017年夏に塩野義製薬グループのシオノギヘルスケアという会社から「PL」という総合の風邪薬がOTCで発売されました。昔からある総合感冒薬で根強い人気を誇っており、お年寄りの中にはPLが欲しいからという理由で医療機関を受診する患者さんもいるくらいなのですが、実は2017年にOTCが出たことで、PLが欲しい場合に医療機関を受診する必要がなくなったのです。まだあまり知られていない印象がありますが、後から振り返った時に、PLのOTC化がセルフメディケーション推進のターニングポイントの一つであったと言われる日が来るのではないかと考えています。いずれにせよ、2018年1月に循環器専門に特化するという意思決定をしました。2018年4月には、医療法人化を果たし、法律上も、医療法人社団お茶会お茶の水循環器内科として生まれ変わりました。開業4年目の大チャレンジでした。
6、お茶の水循環器内科に変えてわかったこと:
2019年1月で、お茶の水循環器内科に変えてからちょうど約一年が経ちました。2018年冬、お茶の水循環器内科に変えた直後は文字通り、大混乱でした。勿論、患者さんによっては、理念に共感し、理解を示してくれる方も多くいれば、不便なクリニックになってしまった、風邪も診ないのか、便利なクリニックだったのに、と理解をいただけない方も少なくありませんでした。ホームページでは何度もお知らせをしましたし、リマインドも何回もしているのですが、読まずに来院される方は少なくなく、スタッフに暴言を吐いて帰っていく人、医師に対して直接皮肉を言う人、インターネット上でボロクソの口コミを書かれることもありました。今まで何でも診ると言っていたクリニックが突然、循環器内科にだけになり、循環器疾患以外は診ないと言い出したのですからまあ無理もないかも知れません。特定の親しい患者さんからは自分だけ特別に診て欲しいという要望を多数いただきましたが、特定の人だけ親しいからという理由だけで優遇して、他の人とは特別扱いするのは、医療の平等性からして好ましくないと考え、変えたのあれば一律、例外なく、という方針に統一して、泣く泣く断りました。スタッフには心血管疾患の一次予防という開業の理念をもう一度、説明しました。心血管疾患の一次予防など、そこまで興味関心がないスタッフは辞めて行きましたが、理念に共感するスタッフがしっかりと残ってくれたのでよかったです。いずれにせよ、何かを大きく変える場合に動揺があることは避けられませんので、想定の範囲内ではありました。よく聞かれることなので、隠さずに書いてしまいますが、売上はピーク時の半分以下まで落ち込みました。具体的には、それまでは開業4年目にして一日60人から80人程度の来院患者数であったのが、お茶の水循環器内科に変えてからは一日15人程度まで落ち込みました。この時、私は唖然としました。クリニック経営者としてクリニックが潰れないようにマネジメントしないといけないのは勿論のこと、それまで循環器内科医として、循環器内科医ではないと出来ない仕事をしているつもりだったのですが、なんと、患者数が1/4以下になったということは、循環器内科医としての仕事は1/4以下しか出来ていなかったのです。一般内科と循環器内科とで診療内容は異なるため単純比較は出来ませんが、全体の3/4以上は循環器内科医としての仕事を出来ていなかったのです。開業時は「心血管疾患の一次予防」を理念に掲げて、減らせるはずの心筋梗塞を減らそうと、高いビジョンで診療に取り組んでいたつもりであったのですが、数字で見ると、半分以上は循環器内科医としての仕事をしているつもりになっていたのです。その後、積極的に循環器専門の医療機関に生まれ変わったこと、情報発信をしていくことで、次第に循環器専門の医療機関として認知されるようになり、遠方からわざわざ探して来院して来るようになったり、かかりつけ医がいる中で循環器内科の専門家として意見を求められるようになど、循環器内科疾患の患者さんばかり来院するようになりました。クリニック経営としても一年掛けて無事に回復しました。振り返ってみると、医師が一日診察出来る患者さんというのには限りがあります。個人によってスキルは違うので人にもよりますし、 IT等でどこまで診療を効率化出来るか、オペレーション効率化にもよるのですが、私の場合は、一人一人に丁寧な診察を出来る範囲というのを目指した場合に、一日50人から60人が適正でした。無理をすれば一日100人以上診ることも出来ますが、どこか説明不足になってしまったり、時間に追われて精神的に余裕がなくなったり、雑さや漏れ、確認不足や見落としなどが出やすくなってしまい、最悪の場合は医療の質にも影響してしまいます。患者さんにとっては、待ち時間が長くなり、診察では医師が時間に追われて忙しそうにしていて、数をこなすだけの診療、機械的な診療になってしまっていたり、気を使ってちょっと聞きたかったことが聞けなかったり、言おうかどうか迷っている症状などが相談出来なかったり、もしかしたらそれが重要な病気のサインであるかも知れないのですが、伝えらなければそれは医療の質に関わって来てしまいます。私の意見としては、余裕を持って診療出来る範囲の自分にとっての適正な患者数というのを意識すべきで、やみくもにたくさん患者さんを診ればいい、数だけ増やせばいいというものではないと考えています。お茶の水循環器内科に変える前は、一日の来院患者数は60人を超えており、私にとっての適正患者数を超えてしまっていました。今、振り返ると、精神的に余裕がなくなっていたり、十分な説明が出来ていなかったように思います。クリニック経営において、量と質と両方大事なのですが、医療においては、質より量ではなく、量より質を大切にしなければならないと考えています。クリニックの成長ということを考えた場合に、見直すタイミングに来ていたタイミングであったと言えるかも知れません。また、体力的にも人間は必ず衰えていくので、何歳になっても継続出来る診療スタイルというものを作っていかなくてはなりません。クリニック経営者としても経験値となった一年でした。お茶の水循環器内科、生まれ変わりの一年は、情報発信、広報、広告、診療のオペレーション、採用、全てを作り直すくらいの大改革であり、マネジメントに相当注力した一年間でした。私自身もピンチの状態から、ピンチを脱出し、経営再生させるという過程は今までにない経験値となりました。結果的に、なんとか一年以内で無事ピンチを乗り越えることが出来ました。私としては開業時の理念と現状とが乖離して来てしまっていることが一番の悩みであったので、あのまま方向性がズレたまま何年もクリニックを続けるよりも、このタイミングで思い切って開業時に構想した理想の医療機関に軌道修正することが出来て、本当によかったと感じています。様々な方に混乱を迷惑を掛けましたが、お茶の水循環器内科は循環器専門の医療機関として生まれ変わることが出来ました。最後の後編では、お茶の水循環器内科に変えた話から、疾病構造の変化、なぜ今デジタルヘルスか?へと話がつながります。後編に続く。
・後編→https://ochanomizunaika.com/8691
【中編】2018/12/23(日)開催の「第2回デジタルヘルス学会学術大会」の大会長講演「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。