【前編】2018/12/23(日)開催の「第2回デジタルヘルス学会学術大会」の大会長講演「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。
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・中編→https://ochanomizunaika.com/8641
・後編→https://ochanomizunaika.com/8691
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2018/12/23(日)、お茶の水のデジタルハリウッド大学にて、デジタルヘルス好きが集まるデジタルヘルス学会の第2回学術大会が開催されました。お茶の水循環器内科院長の五十嵐が大会長を務めました。このたび、大会長講演 「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。軽い気持ちで書き始めてしまったところ、スイッチが入ってしまったため、前編、中編、後編の三部に分けて執筆しようと思います。では、前編から書いていこうと思います。前編は生い立ちから開業前夜までです。
1、自己紹介:
まずは自己紹介から、慶應義塾大学医学部卒で、循環器内科医であり、本業はお茶の水循環器内科で院長として土日も夜間も診療を行っています。また、臨床の傍ら、趣味はアプリ開発で、今まで心房細動検出アプリ「ハートリズム」や診察券機能付きウォーキングアプリ「おちゃないGO」など、臨床現場からヒントを得て、臨床に役立つようなアプリを作っています。2015年にデジタルハリウッド大学校医に就任、趣味のアプリ開発などがデジタルハリウッド学長の杉山知之先生らに知られ、高丸慶、石井洋介と3名でデジタルヘルスをテーマにした勉強会「デジタルヘルスラボ」を立ち上げ、2016年に大学院の実践科目として正式科目化されました。同時期に加藤浩晃が教員としてジョイン、五十嵐はデジタルハリウッド大学院専任准教授としてデジタルヘルスラボの運営を行っています。デジタルヘルスラボでは、デジタルテクノロジーとクリエイティビティを活用してヘルスケア領域で解決したい課題に取り組む人が集まる場を目指しています。デジタルヘルスとは、ヘルスケア領域における解決したい課題の中で、既存の医薬品でも医療機器でも十分に解決出来なかった課題に対して、デジタルテクノロジーとクリエイティビティを活用した第3のアプローチによる様々な取り組みと定義しています。こう書くと、五十嵐は臨床がやりたいのか、デジタルヘルスがやりたいのか、どっちなんだと思われるかも知れないですが、私の中では一本の軸でつながっています。 大会長講演では生い立ちから振り返りながらお話しました。
2、生い立ち:IT、会社経営、まずは臨床を極めるように
私は群馬県高崎市で生まれ、科学少年、読書家であった高校時代を過ごし、高校卒業後は一年浪人し、駿台お茶の水にて浪人生活を送りました。その頃から神保町の古本屋街にて思い入れがあり、いつかこの街で暮らしたいと思うようになりました。一年の浪人を経て、慶應義塾大学医学部に進学、学園祭、編集、出版、IT、ウェブ制作など、最初は広報関係のことに興味があり、特に慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに出入りして、ITが世界をドラスティックに変えていくこと、ITの可能性を目の当たりにしました。医学部3年時に、医療コンサルティング会社、メディヴァにてインターンシップ、クリニック開業やクリニック経営などを学びました。学生仲間で学生ベンチャーを立ち上げたりしているうちに、自分で会社を作りたいと思うようになり、医学部4年生の時に一年休学し、在宅医療関係の会社、医療系の人材会社、中国における医薬品流通の会社、合計3社を創業し、一社売却、一社社長を追い出され、一社精算と、経験しました。そんなことをしているうちに、医学部5年生になり、五十嵐はこのままITでやっていくのか?医師になるのか?と聞かれ、医師国家試験を受けるのかどうか決めないといけない時期になりました。多くの先輩方に相談したところ、一度でもいいからまずは臨床を極めたほうが良いと、医師で会社経営をやっている方、医師で医療政策の仕事をされている方、アドバイスを求めた方が全員が全員、同じことを口を揃えて言うので、ここは素直にアドバイスに従って医師国家試験の勉強を始め、その後、無事、医師国家試験合格、医師免許取得、大学卒業後は2012年から初期臨床研修医として社会人生活をスタートしました。あの時は、とにかくスタートアップの華々しい世界に憧れ、当時は正直、臨床医としてのキャリアには何の魅力も感じていなく、まずは臨床をやれというアドバイスの真意がほとんど理解出来ていなかったのですが、今となっては臨床視点のプロダクト開発、臨床の課題感がデジタルヘルスにおいても最も大事ということがわかり、今振り返ると、あの時の先輩方のアドバイスは正しかったことを理解出来、今となっては大変感謝しています。キャリア相談をされたら、後輩にも同様のアドバイスをしているのですが、その時はよくわからなくても後々になってみて振り返った時に真意がわかることも多いので、まずは素直にアドバイスに従ってみるというのも手だと思います。
3、初期研修医時代:本当に救えるのは血管疾患だけ
さて、初期臨床研修は地元群馬の前橋の脳卒中の専門病院を選びました。多くの同期が大学の関連病院を選ぶ中で、まずは臨床経験をたくさん積むということを目標に、大学とは何の関係もない市中病院を選びました。地方の病院で、とにかく人手不足で研修医も貴重な戦力の一員として救急三昧の日々を送りました。そこでわかったことは、人間の死因には有限のパターンがあるということでした。具体的には、どのような人生を送っても人は最後は、癌、心不全、肺炎、脳卒中、老衰その他、この5パターンで死んでいくということに気付きました。また、この中で本当に救える疾患は血管疾患だけではないかということも気付きました。老衰は自然現象なので治せるものではありませんし、癌も最終的には根治を目指せないことがほとんどです。肺炎は高齢者の誤嚥性肺炎が多く、これは脳卒中後の嚥下機能障害が原因であり、脳卒中の後遺症であると言うことも出来ます。心不全の原因として一番多いのは虚血性心疾患、心筋梗塞であり、心筋梗塞後の後遺症と言うことが出来ます。つまり、本当に救える疾患は心筋梗塞や脳卒中という血管疾患であり、血管疾患のほとんどは動脈硬化から起こるので、本当の意味で防げる疾患は血管疾患だけであり、動脈硬化を防げば良いという結論に至りました。また、認知症などの脳神経疾患にも興味があったのですが、アルツハイマー病は原因も根治療法もよく解明されておらず、唯一予防可能な認知症は脳血管性認知症であること、これは微小な多発性ラクナ梗塞を背景としており、結局脳卒中の予防とやることは同じであること、認知症予防ということも今確実に出来ることは血管疾患の予防という結論になりました。当時、国内で血管疾患、心臓病のメッカは大阪の国立循環器病センターで、なんとしてでも国循に行かなくてはという思いが強くなりました。研修医1年目の春、大阪で開催された日本脳卒中学会に参加している時に、当時まだ始まったばかりの脳梗塞急性期の血栓溶解療法、rt-PA講習会が開催されました。私自身、非常に興味のあるテーマだったので参加し、会場で盛んに質問をし、講習会の終了後も講師を捕まえて、質問攻めにしました。そうしたら、なんと、講師の方は国立循環器病センターの脳血管内科の先生であり、そんなに興味があるのならうちに見学に来たらどうだという話になり、これはめったにないチャンスであるのでどうか見学させて欲しいと懇願しました。どうせ行くのならせっかくの機会なのでしばらく滞在し、短期間研修をしたいと希望を申し出て病院と交渉したところOKとなり、しかも心血管内科のほうも見学したいと交渉し、虚血チームも、不整脈のアブレーションチームの見学もOKになりました。なんとしても国循に行きたいという願いが叶いました。国循は通常、初期研修医は募集していないので、どうしても国循に来たい人は後期研修医からというのが基本ですから、初期研修医の間に国循に行けることは奇跡的なチャンスでした。滞在期間中は寮も手配をしていただいて、また脳血管内科の先生方も、心血管内科の先生方も、非常に熱心にご指導くださり、大変感謝しています。
4、国立循環器病センター短期研修:事件は病院内で起きているんじゃない!
国循での研修は短期間でしたが、人生のターニングポイントとなりました。具体的には、それまで私は医療の発展は技術革新によって起こるものと信じており、治療効果の高い新薬の開発、新しい医療機器、再生医療、デバイスの進化など、最先端テクノロジーのその先に医療の未来があるものだと考えていたのです。なので、国循に行けば、今まで知らなかった最先端の素晴らしい治療法があり、それを誰よりも早く習得することが一番臨床医としての最短のスキルアップであると考えていました。国循でやっている研究は確かに最先端のものばかりでしたし、治療もトップレベルのものばかりでした。しかしながら、私が国循で学んだことで一番衝撃だったことは、多くの心筋梗塞の再発や心不全の急性増悪が、薬が切れていたことによって起きているという衝撃的な事実でした。つまり、心筋梗塞を一回起こした人は特別な例外がない限り、抗血小板薬のバイアスピリンというお薬を続ける必要があるのですが、心筋梗塞再発で運ばれて来た人の多くがこのバイアスピリンという薬が切れてしまっていました。入院時持参薬としてあるべきはずの薬がないという事実、もしバイアスピリンが切れていなかったら心筋梗塞を再発をせずに済んだかも知れない、このことに気付いた時は衝撃が走りました。なぜなら、病院に運ばれて来る前のことで心筋梗塞を再発するかどうかが決まっている、勿論、病院に着いた後に最善の治療を行いますが、もっと重要なことは病院の外で起きていることを意味するからです。病院内でスキルアップをいくらしても心筋梗塞再発は減らないのでないか、それまで最先端テクノロジーのその先に医療の未来があると考えていたのですが、バイアスピリンは最先端テクノロジーでも何でもありません。むしろ昔からある古い薬で、ローテクノロジーの象徴ですらあります。医療を救うのは最先端テクノロジーではなかった、事件は病院内では起きていなかった、このことを大会長講演のスライドでは「事件は病院内で起きているんじゃない!現場で起きているんだっ!!」と表現しています。私の中では、完全なるパラダイムシフト、コペルニクス的転回でした。事件は現場で起きていて、病院内で起きていない、また最先端テクノロジーではない、何か別のものが医療を救う。それは何かはわからないけど、今まで求めていたアプローチの先に答えはないということが確実になった今、方向転換をしなくてはならないことを理解しました。次に、ふと、国循を卒業された先輩方は何をしているんだろう?と疑問が湧きました。調べてみると、減塩、ウォーキング、禁煙、脈チェック、健診の普及など、当たり前のことをやっているではありませんか、おそらく国循の院長や副院長を務めた先生ですから、最先端の治験、最先端の研究など一通りやった方が、一周回ってローテクノロジーの極み、一次予防の活動に戻って来ると、最先端テクノロジーではなく、ローテクノロジーにこそ答えがあるのではないかと直感しました。人生は短いので最初からこっちに行こうと、むしろローテクノロジーのその先に医療の最先端があるのではないかと考え、いきなり一次予防の道に行こうと決心しました。普段は人の意見は聞かないのですが、大先輩の言うことは素直に受け入れたほうがいいことも多いです。受け入れるべき意見とそうでない意見と、その見極めが難しいのですが。
5、デジタルヘルスとの出会い:心房細動検出アプリ「ハートリズム」開発
さて、最先端テクノロジーのその先に答えがないことを悟り、ローテクノロジーで出来ること、いきなり一次予防の道に行こうと決心した後、国循での短期研修の期間が終わった後は、まだ初期研修医2年目で、群馬の脳卒中病院に戻り、救急をやってました。救急で運ばれて来る脳卒中の重症型の一つに、心原性脳塞栓症というタイプの脳梗塞があります。これは心臓に出来た血栓が脳に飛んで来て脳の血管が詰まるもので、重症型の脳梗塞を来します。細い血管が詰まり、小さい脳梗塞が特徴なラクナ梗塞とは対症的に、一回の脳梗塞が致命傷となる非常に予後が悪い脳梗塞です。心臓に血栓が出来るのには理由があり、心房細動という不整脈が原因であることも既にわかっていました。問題は、脳梗塞を起こした後に不整脈がわかっても遅いということです。なぜなら、心原性脳塞栓症は一回でも発症してしまうと、死亡、要介護、寝たきりになってしまうこともあり、脳梗塞を発症してからの再発予防ではなく、脳梗塞を一回も起こさないようにしなくてはならないものだからです。脳梗塞を起こす前になんとか心房細動を見付けなくてはいけない、でも脳梗塞を起こさないと病院には来ない、それで目を付けたのがスマートフォンでした。病院に来てくれないのであれば、普段身の回りにあるもので不整脈を見付ける方法を考えるしかない、ある時、温泉で岩盤浴をしている時に、スマートフォンのフラッシュライトを指で塞いで眺めていたところ、ごくわずかにですが、脈を打っているのが見えたような気がしました。気のせいかも知れませんが、確かに脈が見えたような気がして、急いで自宅に返り、iOSのカメラの色、RGBのR、レッド、赤色をグラフに描いてみました。するとなんと、脈と同じスピードで赤色も変化しているではありませんか、衝撃でした。病院にも脈をチェックする機械、パルスオキシメーターやサチュレーションモニターなどはあるのですが、近赤外線を使っていたので、脈を測るには赤外線が必要だと思いこんでいたのですが、カメラの可視光線でも脈を捕まえることが出来たのです。後になって調べてみてわかったことですが、人間のヘモグロビンの吸収波長は赤外線域だけではなく可視光線域にもあり、酸素飽和度を測定するためには、オキシヘモグロビンとデオキシヘモグロビンの比が必要で、これは赤外線でなくてはいけないのですが、脈だけであれば可視光線でも検出可能であるということがわかりました。その後、クラウドソーシングサイトのクラウドワークスで優秀なエンジニアと出会い、心房細動検出アプリ「ハートリズム」が完成しました。当時は心房細動を脳梗塞が発症する前に発見しなくてはいけないということは盛んに言われていたのですが、その方法については、健診等で心電図検査をするというところまでしかアプローチが出来ておらず、その心電図検査を受けるための何らかのきっかけがないといけないのですが、心電図検査を受けるきっかけを提供するアプリがスマートフォンであることは日本初であり、そのアプリを研修医が作ったということで、不整脈の業界では多少話題になりました。これが私とデジタルヘルスとの最初の出会いです。学生時代に湘南藤沢キャンパスに出入りしており、ITは身近であったこと、多少のプログラミングの知識があり、そこまで難しくないものであれば自分でコードが書けたというのが強みでした。しかし、コードが書けるだけであれば私よりもよりスキルの高い人は世の中にいっぱいいる訳で、プログラミングのスキルよりも現場における課題の発見のほうが大事な要素であると考えています。
6、開業前夜
研修医を終えた後は、後期研修先を決めずに、とりあえず都内に戻って来ました。まだ漠然の予防医療で何かしようとくらいにしか考えておらず、ヘルスケア系のアプリ作りでもしようかと考えながら、都内のクリニックで非常勤で働いていました。次第に心房細動検出アプリを知った方から問い合わせが来るようになり、心電図を取りたいのだけれどもどうしたらよいか、心電図を取ったのだけど本当に大丈夫か、など相談を受けるようになりました。最初はオンラインで出来る範囲で相談に乗ったりしていたのですが、やはり実際に診察をしていない人の医療相談に乗るのには限界があり、どこかで診察の場を作らないといけないと考えるようになりました。他にも理由やきっかけはあるのですが、自分の臨床の場を持つという選択肢を考えるようになりました。医療コンサルティング会社、メディヴァでの多少の知識、在宅医療クリニック立ち上げの経験値があったので、開業という選択肢はそこまでハードルの高いものではありませんでした。ただ、開業というのは最終的には良い立地を見付けられるかどうか、良い物件が空くかどうかに依存しているので、焦りは禁物で、診療の空き時間等を利用してふらふらと都内のアクセル良好な場所に物件を探しに行ったりなど、気長に物件探しをしていました。さらに物件探しよりも大切なことは理念です。どのような理念で、どのようなクリニックを作りたいのか、開業すること自体は難しくはないことがわかっていたので、何のために開業するのか、何を目指すのか、が大事です。開業の理念は心血管疾患の一次予防に決めました。国循で学んだことは、最先端テクノロジーのその先に答えはないこと、ローテクノロジーの極みとも言える一次予防にこそ医療の未来があること、ここに気付いたことを実践したいと考えました。臨床医としてのスキルとしても、バイアスピリンを出すことであれば、経験値30年、40年の医師と、医師3年目の医師でも、全く同じ効果を発揮するだろうし、また初期臨床研修で集中的にプライマリケアを学んだことで、高血圧症、脂質異常症、糖尿病、心房細動と言った循環器疾患については標準的な治療は難なく出来るようになっており、他のなんちゃて開業医と比べた場合に、十分に開業に値する医療の質に達していると判断しました。一番のキーとなるのは、何で勝負をするのかという戦略です。医師は結局のところ技術者なので、技術の質を極限まで高めることに指向性、親和性が高いのですが、国循で見た現実は医師の技術の質ではないところで、事件は起こっているという事実でした。医療の質には3要素からなります。クオリティ、コスト、アクセッシビリティの3つです。私は、後者の2つで勝負をしようと決めました。コストは金銭的コストだけではなく、時間的コスト、心理的コストなど、総合的な概念です。医療における金銭的なコストは診療報酬というルールで全国一律決まっているため変えられませんが、時間的コストと心理的コストは工夫の仕様が大いにあると考えました。具体的には、時間的ミスマッチの解消と、相談しやすいクリニック作りの2つに取り組みました。中編に続く。
・中編→https://ochanomizunaika.com/8641
【前編】2018/12/23(日)開催の「第2回デジタルヘルス学会学術大会」の大会長講演「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。