【後編】2018/12/23(日)開催の「第2回デジタルヘルス学会学術大会」の大会長講演「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。

【後編】2018/12/23(日)開催の「第2回デジタルヘルス学会学術大会」の大会長講演「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。
https://speakerdeck.com/igakeso/dhc2018
2018/12/23(日)、お茶の水のデジタルハリウッド大学にて、デジタルヘルス好きが集まるデジタルヘルス学会の第2回学術大会が開催されました。お茶の水循環器内科院長の五十嵐が大会長を務めました。このたび、大会長講演 「なぜ今デジタルヘルスなのか?」の開催レポートをまとめました。前編、中編、後編の三部に分けて執筆しています。
前編→https://ochanomizunaika.com/8601
中編→https://ochanomizunaika.com/8641
前編では生い立ちから開業前夜まで、中編ではお茶の水内科開業からお茶の水循環器内科に変えるまでを書きました。今回は後編です。後編では、疾病構造の変化からなぜ今デジタルヘルスか?についてまとめようと思います。それでは行ってみましょう。

1、 疾病構造の変化
まずなぜ今デジタルヘルスか?を理解するためには、日本の疾病構造の変化を押さえておくことが必要です。上のグラフは日本人の死因の統計の推移ですが、細かく覚えるというよりは、大きくどのような変化をしているのか、大局観を押さえることが重要です。統計データが途絶えているところが戦争であり、大きく戦前と戦後の二つに分けてグラフを整理していくのが良いでしょう。戦前は、結核、肺炎、胃腸炎、この3つが三大死因であったことがわかります。脳卒中は日本人は昔から多かったのですが、癌や心疾患などこの頃は主要な死因としては出て来ていません。戦前とまとめるとすると、日本人は戦前は感染症で死んでいたのです。次に、戦後を見てみましょう。戦後は感染症による死亡が急速に減少し、脳卒中、癌、心疾患、老衰と続いて行きます。結核、胃腸炎で死ぬ人が激減しました。肺炎は一度減って、再度増加傾向にありますが、これは脳卒中後の誤嚥性肺炎が増えていることが大きく、脳卒中で死ぬことが減って来た代わりに、脳卒中後後遺症としての誤嚥性肺炎が死因として増えて来ているということであり、同じ肺炎でも根本的な原因は感染症としての肺炎から脳卒中後遺症としての誤嚥性肺炎へと大きく変貌を遂げました。心疾患の中で一番多いのは虚血性心疾患、これは要は心筋梗塞の後遺症であり、脳卒中と心筋梗塞、この二つと血管の故障が原因であり、血管疾患は動脈硬化が共通の原因であり、生活習慣病を対処することで予防することが出来ます。戦後をまとめると、癌と生活習慣病、この2つが日本人の2大死因であることがわかります。戦前と戦後で、感染症中心の時代から、癌と生活習慣病中心の時代へと変わった、これが大きな疾病構造の変化の流れです。これがどういうことを意味するでしょうか。疾病構造の変化により、医療の役割が変わりました。具体的には、第一に、治療の主体が変わりました。感染症中心の時代には、治療の主体は医療機関でした。肺炎、胃腸炎、結核、原因となる微生物に対して適切な治療を行えば、完治する病気です。患者は言われた投薬を受けるという受動的なものであり、患者が積極的に医療に参加する必要性があまりなかったのではないでしょうか。第二に、疾病啓発の必要性が変わりました。感染症が中心の時代に疾病啓発というものは重要性が薄かったのではないかと思います。なぜなら、肺炎であれば熱が出て、咳が出て、呼吸困難で苦しいので、肺炎を起こした患者は勝手に医療機関に来たでしょうし、胃腸炎であれば嘔吐と下痢で辛く、熱もあり、誰でも病気であることは一目瞭然です。それは病気の可能性があるから、医療機関に来る必要があるという疾病啓発は不要だったのではないでしょうか。第三に、治療継続の必要性が変わりました。肺炎や胃腸炎や原則、治療すれば治ります。治った後に定期的に通院が必要であったり、肺炎を再発していないか、胃腸炎を再発していないか定期的にレントゲン検査、採血検査など特に必要がないのです。治ったら終わりという病気なので、治療継続の必要性が問題となることはなかったのではないでしょうか。戦後は全て大きく変わり、生活習慣病はまさに食事や運動と言った生活習慣が原因なので、治療の主体はまさしく患者サイドにあります。癌も早期の場合は自覚症状が特にないので、健診を受けるように積極的な啓発が重要です。また、特定の癌は原因が特定されて来ているので、原因に予防が第一となります。具体的には、ピロリ菌感染による胃癌、B型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス感染による肝臓癌、煙草による肺癌、ヒトパピローマウイルス感染による子宮頸癌などは、すでに原因が特定されて来ており、原因に対する治療や原因を回避すること、ワクチンなどで予防することが可能です。生活習慣病の治療では、現在の自覚症状を何か治すという訳ではなく、将来の心血管疾患、心筋梗塞と脳卒中を防ぐことが目的です。長い付き合いになるため、治療継続の重要性、治療中断をいかに防ぐかということが重要な課題になって来ます。予防医療の重要性が高まりました。
2、自覚症状の強さと医療介入の必要性の不一致
この疾病構造の変化を、視点を変えて整理すると、自覚症状の強さと医療介入の必要性が必ずしも一致しなくなった変化、と言うことも出来ます。具体的には、戦前の感染症中心の時代では、熱、咳、淡、呼吸困難、嘔吐、下痢、など自覚症状が高いものと致死率が高いものは一致していました。医療従事者は自覚症状が強いものイコール医療介入の必要性が高いものであり、そこに何の乖離もありませんでした。簡単に言えば、苦しそうな人、辛そうな人、シンプルに病人っぽい人を助ければ良い、そういう時代だったのです。しかしながら、癌と生活習慣病中心の時代になって、自覚症状の強さと医療介入の必要性の関係が変わりました。具体的には、高血圧症、脂質異常症、糖尿病、癌の早期、癌の予防などは原則ほとんど症状がないか無症状です。一方で、感染症中心の時代は終わったので、熱、咳、淡、鼻水、くしゃみ、嘔吐、下痢など、自覚症状は強く大変辛いのですが、致死率は高くなく、医療介入の必要性は必ずしも高くない時代に変わったのです。ざっくり言うと、自覚症状の高さと医療介入の必要性が一致している時代から、一致しない時代に変わったのです。ここが最大のポイントではないかと思います。余談ですが、日本の公衆衛生の課題は感染症対策でした。厚生労働省も保健所も、感染症対策というものは優先順位が非常に高いのです。しかし、今、感染症でそこまで日本人は死なない時代になり、時代は変わったのですが、診療報酬制度も含めて日本の医療制度は感染症中心の時代のシステムのまま変わっていないというのが現状ではないかと思います。もっと言ってしまえば、自覚症状の強さで医療機関を自由に受診出来ますが、自覚症状は強いけれど必ずしも医療介入の必要性が低い層が医療機関に殺到してしまい、本当に医療介入の必要性が高い人へ手が回らなくなってしまっているのではないか、とさえ考えたりします。医療機関の待合室などを想像すると、自覚症状の強さは病人っぽさと言い換えることが出来て、致死率の高さ、医療介入の必要性の高いは、本当の病人と言い換えることが出来るとすると、病人っぽさと本当の病人かどうかが一致しなくなったということです。病人っぽさと本当に病人であることが一致する病気もあります。心筋梗塞、狭心症、心不全、肺炎、癌の末期、など、ここは今まで通り、病人として対処すれば良いので変わりはありません。問題は、見た目はめっちゃ病人っぽいけどそこまで命に関わらない病気と、見た目の病人っぽさは全然ないけど命に関わる病気と、乖離してしまっている、ここが問題の本質なのではないかと思います。また、自覚症状の強さも高くなく、医療介入の必要性も高くないものをメディアが、隠れインフルエンザだとか、血圧サージですとか、恐怖感を煽るようなことをよくやっているのですが、これが一番最悪で日本の医療に貢献出来ていないどころか、臨床を邪魔しているレベルで妨害しています。テレビでもインターネットでも雑誌でも、医療というコンテンツは関心が非常に高いのですが、そう毎年のように医療情報が変化することもないので、ネタがなくなっていき、特定の食品が健康にいいとか悪いとか、枝葉なネタになっていってしまう問題があります。「隠れインフルエンザ」というものを振り返ると、疾病構造の変化、自覚症状の強さと医療介入の必要性のミスマッチと、メディアの情報発信の問題と、問題を凝縮している象徴ですらあり、これはこれで考察に値するのですが、今回の話とは逸れるのでまた別の機会があればまとめます。また、もう一つ面白い考察として、感染症時代に日本人を死から救ったのはまさに感染戦治療であり、その根幹が抗菌薬と点滴治療だったのではないでしょうか。まさに抗菌薬こそが現在、風邪でもインフルエンザでも胃腸炎でも抗菌薬は原則不要であることは医学の常識となっていますが、患者さんの理解は必ずしもそうではありません。これは、事実として、戦前、日本人は肺炎、結核、胃腸炎で死んでたということ、肺炎や胃腸炎の原因微生物の内訳はわかりませんが、衛生状態等今とは違いますから細菌性のものが多かったのかも知れません。抗菌薬と点滴療法が一番の治療効果を発揮した時代が本当にあったのでしょう、そして、それは戦前というそう遠くない時代の出来事であり、その時代のリアルタイムに経験した世代はまだ日本に生存しており、子や孫の世代に対して次のように善意で伝承するのでしょう、「病気になったら病院に行って抗生物質をもらって、点滴をしてもらいなさい」と。これは100%の善意のアドバイスなのです。なぜなら、確かに日本人はかつて感染症によって命を落としており、抗菌薬と点滴治療によって日本人は助かっていた時代があるからです。なので、抗菌薬適正使用とは、世代間の啓発であり、診察室にはいない人とのコミュニケーションを理解する必要があるという超難題の課題なのです。これも非常に示唆的なところなのですが、今回の軸とはズレるのでまた別途まとめます。
3、疾病構造の変化から医療の役割が変わる
話を戻すと、疾病構造の変化により、医療の役割が変わりました。感染症中心の時代から癌と生活習慣病中心の時代になりました。治療の主体は患者サイドに変わり、疾病啓発の必要性が生まれ、治療継続の重要性が生まれました。予防医療の重要性が高まりました。ここで医療の役割を再定義してみましょう。感染症中心の時代では、医療は自覚症状が出てから医療機関に行けばよいものであり、治療の目的は現在の自覚症状の改善であり、現在の自覚症状の改善と致死率を下げることは一致していました。しかし、癌と生活習慣病中心の時代になって、治療の目的は将来の予防医療になりました。現在の自覚症状の改善は医療の目的ではなくなり、将来起こるかも知れない心筋梗塞や脳卒中のリスクを下げること、これが医療の中心となりました。サービス業の視点から考えてみるとこの違いがよくわかります。現在の価値を顧客が買っている場合は、サービスは難しくありません。現在辛いという自覚症状を改善させること、ここに価値があるので、顧客は価値として知覚しやすいです。しかし、現在の価値ではなく、将来の価値というのは非常に知覚がしにくいのが一点、さらに、予防医療というのはその性質上、心筋梗塞や脳卒中が起こらないというのが効果であり、何も起こらないというのが効果そのものなのですが、何も起こらないということは極めて知覚しにくい価値であり、かつ、予防医療を行わなかった場合の自分と比較してのリスク低減していることが価値なのですが、現実的に二者を比べることが不可能であるため、ほぼ知覚することが不可能な価値と言っても過言ではないでしょう。一方で、全てのサービスにはコストが掛かっており、医療であっても例外ではありません。顧客は、医療というサービスを享受するために、金銭的コスト、時間的コスト、心理的コスト、全てを投下しているのです。金銭的コストは一番わかりやすく、診察代や検査代、薬が出る場合は薬代のことであり、実際にお金を払うコストのことです。ここは診療報酬点数という公定価格で決められているところであり、いずることは困難です。時間的コストは頻回の通院や病状安定した場合であっても定期的に通院をしなければならないというコストです。これは現在人の生活スタイルからして無視出来ないコストであり、退職後であればいいのですが、特に心筋梗塞や脳卒中というのは中高年に起こるのを防ぎたい場合、治療のメインの層は現役の社会人です。月に一回、二か月に一回、三カ月に一回、平日の日中に医療機関に行くということが、どれだけ負担が大きいものか、医療従事者は現実を過小評価しているように思います。これがお茶の水循環器内科が夜間や土日も診療をオープンにしている理由であるのですが、医療従事者の中には理想論で、通院のために会社を休めるようにすべき、健康を優先するように企業が変えるべき、という理想論を言う人も多いのですが、他人の会社を変えるということは非常に難しいので、医療機関のほうが自分たちのほうが変える、社会が変わっているのであるから医療のほうが社会に合わせて変えるという発想を持つ人はまだ少ないのが現状です。社会が医療に合わせることを求めて、医療が社会に合わせようという行動をしないのは、医療の傲慢な態度ではないでしょうか。また、時間的アクセスの課題をIT、デジタルテクノロジーで解決しようというのはデジタルヘルスの守備範囲と重なって来ます。最後、心理的コスト、ここがデジタルヘルスの守備範囲と重なって来ますので、後で詳しく説明します。まとめると、疾病構造の変化、感染症中心の時代から癌と生活習慣病中心の時代へと変わり、医療の役割は現在の治療的価値から、将来の予防的価値にシフトした、予防的価値というのはその性質上知覚するのが非常に困難な価値で、知覚出来ない価値に対して、コストを支払えと言っているのが今の医療の現状であり、感染症中心の時代の医療のアプローチの仕方では太刀打ちがいかない壁にぶつかっているというのが現状の整理です。
4、 ゲーミフィケーションとヘルスケア
2017年4月に「おちゃないGO」というアプリを作りました。これは、2016年7月にリリースされた「ポケモンGO」をどうにか医療に活かせないかと考えたものです。「ポケモンGO」をどうして医療従事者が作ることが出来なかったのか、悔しくてたまりませんでした。 なぜなら、生活習慣病の治療において食事療法と並んで柱になるのが運動療法です。色々な運動がありますが、どんな運動でも構いません。高血圧症、脂質異常症、糖尿病、色々な生活習慣病がありますが、その人にとって今までよりも運動量が増えれば必ず何らかの改善があります。今まで運動習慣がなかった人に、どれくらいの運動量なのかを客観的に把握する機会を作り、かつ、運動量を可視化し、一日一万歩という目標の達成に応じて花丸が付き、「おちゃないポイント」という仮装ポイントが付与され、「おちゃないポイント」はおちゃないグッズとアイテム交換可能というものにしました。ゲーミフィケーションとは、利用者を動機付けるためにゲームで使われている要素をゲーム以外の領域に活用することです。特に生活習慣病では治療の主体は患者サイドにあり、食事療法や運動療法の動機付けや意欲継続が出来る仕組みなどが重要です。詳しくは論文にまとめたのでご興味がある方はご覧ください。
「【論文】ゲーミフィケーションとヘルスケア Gamification and Healthcare」→http://msl.dhw.ac.jp/journal/pdf/DHUJOURNAL2018_P03.pdf
一日一万歩の運動習慣の確立により、血糖コントロールの改善を認め、減薬に成功した一例を報告するとともに、ヘルスケアにおけるゲーミフィケーションの可能性について論文にまとめました。チャンピオンケースの一例報告のみですが、HbA1cで1.0以上の改善を認め、さらに減薬まで成功しており、行動変容の重要性、さらにはデジタルヘルスの可能性を確信するに至った経験でした。
5、なぜ今デジタルヘルスか?
疾病構造の変化から医療のルールが大きく変わった今、新しい医療が始まっていると理解しています。新しいには新しい学問が必要であり、それがデジタルヘルスであると考えています。まだこれから作っていくものであるので多少の論理の飛躍やまだわかっていないところもありつつ、疾病構造の変化から、医療の役割は現在の治療的価値から将来の予防的価値へと、価値の性質が大きく変わったことを書きました。さらに、将来の予防的価値は知覚することがほぼ不可能であり、そこに対してコストを支払うようにという、サービス業としては無理難題を医療を行っていなかくてはならないということがわかりました。この時点で高度なコミュニケーションデザインが求められるようになったことが言えます。ここをデジタルテクノロジーとクリエイティビティの2つを武器に解決を目指していくのがデジタルヘルスです。前編で「事件は病院内で起きているんじゃない」ということを書きましたが、病院で出来ることが飽和して来ているというのがあります。医療の発展は、医薬品の発展、医療機器の発展、この2つによって飛躍的な発展を遂げて来たことは間違いがない事実ですが、今もう薬もかなり良い、検査機器も良い、オペ技術も向上し、様々な治療法も確立して来ました。病院内で出来ることはまだまだありますが、病院内で出来ることが医療の質を上げることに貢献する度合いが減って来ている、むしろ病院内で待っていても、どんな名医であっても、適切なタイミングで適切な診療科を受診してくれないとベストな治療が出来ないものであり、まずは肝心の患者さんの行動変容がないと始まらないという時代になりました。例えば、デジタルヘルスラボの立ち上げメンバーの石井は、消化器外科医として医師のキャリアをスタートし、大腸がん等数々の手術の腕を磨こうとしましたが、オペ時に遠隔転移ありのステージが進んだがんであることがわかると、どんなオペの名医でも治すことは不可能に近いですし、早期発見出来たがんは5年生存率90%以上とほぼ完治が出来るという事実に気付きました。事件はオペ室で起きていなかったのです。病院を受診するタイミングで運命は決まっているのです。病院を受診する前になんとしてもアプローチする必要があるのです。 病院内で待っていても不十分であり、病院外へのアプローチが必要な時代になりました。医療の主体は患者サイドに変わりました。医療の役割は現在の治療的価値から将来の予防的価値へと、大きく変わりました。医療の役割は現在の自覚症状を取ることではなく、感染症の治療でもなくなった今、 デジタルヘルス学会では、「ユーザーにとって望ましい健康で幸せなユーザー体験」を提供すること、が医療の価値であり、医療の価値はモノではなく、「ユーザー体験」という体験を提供していると再定義しました。これには高いコミュニケーション能力、デザイン設計が必要になって来ます。デジタルヘルスは新しい時代の医療の幕開けなのです。未来の予防的価値を理解してもらわないといけない、知覚出来ないものを感じ取ってもらわないといけない、さらにはそこにコストを支払ってもらわないといけない、今の医療が取り組むべき課題はここにあるのです。今の医療制度、医療システムは感染症中心の時代のものを継ぎ接ぎしながら使っているのが現状ですが、システム破綻を起こしていることは明らかです。なぜシステム破綻を起こしているものを変わらずに使い続けているのかと言えば、次の時代の医療のソリューションが誰もまだ提示出来ていないからです。デジタルヘルス学会では、そのヒントはデジタルヘルスにあると考えています。デジタルヘルスは、ヘルスケアとデジタルテクノロジーの融合、ヘルスケアとクリエイティビティの融合の2つの要素から成り立っています。デジタルヘルスが描く医療は、自ら進んで、適切なタイミングで適切な検査を受けたくなる医療、自ら進んで治療意欲が湧いてくる医療、むしろ自ら治療を続けたくて仕方なくなる仕掛け、中断したくなくなるくらいの動機付けが大事だと考えています。結果的に、病気の早期発見、早期治療介入につながり、それが継続されれば、疾病予防、重症化予防につなげたいです。生活習慣病においては、心筋梗塞、脳卒中の予防を通じて、要介護予防、寝たきり予防、医療費削減につながれば理想です。これからの医療において、行動変容、コミュニケーションデザインという概念がキーワードになることは間違いがないと思います。デジタルテクノロジーとクリエイティビティの医療への応用など、想像出来なかった時代から、これから確実に変わっていき、デジタルヘルスこそが次の時代の医療を先導しくと確信しています。これは一体どういうことをやろうとしているのかと言うと、公衆衛生学と本質的には同じです。デジタル時代、アプローチの仕方がデジタルテクノロジーやクリエイティビティなど新しいだけで、やろうとしていることは、病気を減らそうとしていること、社会へのアプローチ、まさに公衆衛生学なのです。デジタル時代の公衆衛生学のがデジタルヘルスと言うことが出来ます。我々、お茶の水循環器内科、デジタルハリウッド大学院、デジタルヘルスラボらの取り組みが未来を先導の火種になっていくことを願ってやみません。まだ時代の変曲点に差し掛かったばかり、一緒に次の時代をデザインして行きましょう。未来はこちら側!
2018/12/23(日)「第2回デジタルヘルス学会学術大会」
大会長講演「なぜ今デジタルヘルスなのか?」
五十嵐健祐


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